顧問のいないネット俳句

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俳句講座  J次郎2編  ふと口に、上ぼす言葉は、五七五」

ミクシーで、J次郎2さんが俳句について書いているコミュが

あるのですが、俳句について参考になる記事があり、自由に使っていいですよ

といってくださったので、こちらに抜書きして 転記させていただこうと思います。

すこし長いですが、面白いので、参考になさってみてください。







    ★ J次郎の俳句講座 ★ (タイトルは歌子が勝手につけたものです)



ふと口に、上ぼす言葉は、五七五  
  
   

(中学国語の時間を偲んで、1)

古来、日本の歌は、五と七音節で構成されていました。

長歌、短歌という言葉が思い出されますね。

その中で、五七五七七の音節で構成される歌が、和歌と呼ばれる

ことになります。

和歌は平安時代に隆盛をむかえ、技巧が過ぎるほどになりました。

鎌倉時代を通り過ぎ、室町時代になったところで

お茶とともに連歌がもてはやされます。

五七五の句に七七の句を別の人が付けて、

さらにその七七に五七五を別の人が付ける。

まあ、一種の社交の遊びだったわけです。

遊びではありますが、そこは

競争心というか優越感を求める為に

技巧が入ってきます。

すると、技巧の優劣を判定するために、

ルールが必要になるのですね。

一番最初の句には「季節」が無くてはいけないとか

第○番目は「花」を詠めとか

最後の句の「季節」は最初の句と同じ「季節」でなくては

ならないなど。 俳句の「季語」のもとはここにあります。

「季寄せ」「歳時記」など「季語」を集めたものは連歌

ためにつくられたのです。



さて、有名な「連歌師宗祇」は、また 和歌の「古今伝授」を

行なったことでも知られています。

つまり、和歌の作り方、解釈の先生でもありました。

和歌がすたれ連歌が盛んになった理由に

和歌を作るのは難しい(ルールが複雑)ことがあげられます。

ところが、その和歌の先生が連歌の先生でもあったのです。

連歌もまた、難しくなってゆくのに不思議はないでしょう。

江戸時代になっても、まだ連歌は生き残っていました。

しかし、連歌の堅苦しさ(複雑なルール、長時間の拘束)は

嫌がられて 新しい「歌」を時代が求めてきます。

ひとつは、ある句に別の人が別の句を付ける、ルールに着目した。

「前句付け」です。

七七の下の句に、五七五の上の句をつけます。

たとえば、「嬉しくもあり、嬉しくも無し」を下の句に

「泥坊を、捕らえてみれば、我が子なり」

「正月は、冥土の旅の、一里塚」などと上の句をつける。

この「前句付け」は「川柳」に発展し、下の句を必要としなく

なりました。

もう一つは、連歌の最初の一句「発句」に着目し

五七五の詩型だけで、完結する歌を作ることです。

これならば、一人だけの詩作ができます。

俳諧」ですね。

「諧」の字は「諧謔」にも使われているように

飛躍する思考を求めています。

ところが、ところが、この「俳諧」にルールを持ち込んだ

男がいました。 松尾芭蕉といいます。

こともあろうに、自由なはずの「俳諧」に古臭い連歌のルール

「季語」を持ち込んだのです。

(佗び寂び、つきで)

これを「俳句」と言います。


どういうわけか、「不自由は自由に比べて高級である」との

概念が日本人には昔から付着しているようで

俳諧」はすたれ、「俳句」が盛んになりました。

江戸時代も終りに近づくにつれ

佗び錆びついた「俳句」も さすがに疲れたのか

「川柳」と区別がつきにくくなってきます。


明治になって、

その「俳句」の息を吹き返そうとしたのが

正岡子規でした。

佗び錆びを払い落として

新たに付け足したのが 「写生」の概念です。

西欧自然主義の影響でしょう。

「柿食へば、鐘が鳴るなり、法隆寺」は

そのまま、写生句だと考えます。

宵闇が迫り、カラスが一羽ねぐらに帰る。

鐘がゴーンと鳴って・・

ここまでは読む人の想像でもかまわないが

「侘びしいなぁ、寂しいなぁ」まで想像するのは

正岡子規の「写生」にあったことでしょうかねぇ。

大正から昭和にかけて

「季語」「五七五」の縛り付けから

自由になろうという運動がありました。

「自由律俳句」ですね。

漂白の俳人種田山頭火あたりが代表でしょう。

「分け入っても、分け入っても、青い山」

こうなると、もう「俳句」ではなく「短詩」と言わざるをえません。     続く