顧問のいないネット俳句

句会の流れ①その月の兼題を使った俳句を25日必着で投稿します。                     ②ブログに全作品が公開されます。                          ③投稿した人は自分以外の作品番号を選句し3日以内に編集者へ送ります。        ④このあとのことはその後のブログに必要事項を載せます。

俳句講座(2) J次郎2編

「ふと口に、上ぼす言葉は、五七五」     (中学国語の時間を偲んで、2)

さて、駆け足で五七五の歴史をおさらいしたのですが

いくつかの補足をしなくてはなりません。

歴史の時間では

連歌」「俳諧」「俳句」「前句付け」「川柳」とキーワードが並びます。

なかなか「写生句」「自由句」まで行き付けません。

国語の時間では

松尾芭蕉」「小林一茶」「与謝野蕪村」「正岡子規

あたりがキーワードになり 「山頭火」はほぼ無視されます。

しかも、五七五代表は芭蕉に決まっています。

一茶、蕪村は、どちらかと言えば「俳諧」なのですが

教えられるときには「俳句」として紹介されます。

「やれうつな、蝿が手をする、足をする」

「雀の子、そこのけそこのけ、お馬がとおる」の

どこに「佗び寂び」があるでしょう。

芭蕉は、たしかに「俳句」の巨匠です。

我々は、彼から学ばなくてはなりません。

ところが、(じじいの受けた国語の時間では)

芭蕉について、大きなキーワードが抜けていました。

「軽み」です。

「佗び、寂び」とともに俳句を作る上で

大きな要素の「軽み」を

教育から外してしまったことが

中高生の俳句ばなれを招く結果になったのです。




「包帯に、包まれ眠る、冬の山」

今から数十年前に、じじいが初めて作った俳句。

なぜ覚えているかと言うと。

初めて国語の先生に誉められたから。
なにしろじじいは、

「山は高い」の主語は「高い」と答える、

国文法の劣等生だったので、誉められた記憶が他にない。


この時には、芭蕉の句

「荒海や・・

「古池や・・

「五月雨を・・

などが手本として与えられていて

佗び寂びの説明も、一応あって、季節を入れて、五七五。

さあ、みんなで俳句を作ってみよう。てんだから、

大変だった。

しかたがないので、いつも見る景色。

当時は、杉の植林のために

山の斜面を皆伐したところが多く。

そこには、雪が一面積もっていた。

それを詠んでみたのだ。

それから、三十有余年、俳句とは縁がなかった。

それは、俳句に対する誤解があったからだ。

季語、切れ字、などはまあ良いとしても

「佗び」「寂び」はいけない。

13,14のガキにそんなものが解るわけが無い。

人生ばら色、楽しいばかりの少年少女に

そんなじじむさいもの押し付けるな。と

考えていたわけだ。

もし、あの時

「雀の子・・

「やれうつな・・

が、例題として提示されていれば

言葉遊び、としての五七五が

できていただろう。

「軽み」というのは

「おかしみ」でも「今の言葉」でも無いのだけれど

俳句が堅苦しくない、親しみのもてる

詩型のひとつであるよ。と思わせる、言葉の響きがある。

もう一度、思う。

あの時、「佗び」「寂び」とともに

「軽み」という言葉があって、

一茶、蕪村も芭蕉と同列に扱われていれば

もっと早くに

五七五をやっていただろう。と