「ふと口に、上ぼす言葉は、五七五」 (中学国語の時間を偲んで、4)
さて、
五七五を作るときに、ことさらに
古語、古典、から引用することは
正しい方向なのか。
非常に迷う。常識なのか非常識なのか。とね。
2003年の正月に
「雪雲を、裂いて利鎌の、沈み入り」と詠んだ。
すると、「利鎌がわからない。」と答えが返ってきた。
「とがま、と読むんだよ」
「なんのことかわからない」
「鋭利な刃の鎌、よく切れる鎌だよ。」
「この歌に、何で鎌が出てくるの」
「利鎌の月といって、三日月のことだよ」
「じゃあ、そういってよ、わかんないから」
「雪雲を、裂いて三日月、沈み入り」
「それなら、わかった」
じじいはおもしろくない。
それというのも、ふだんは、
「難しい言葉を使えば、高級高尚か?」と問えば
「そんなことはない。」と答えるじじいなのだ。
「できるかぎり平明、簡潔な言葉で、しゃべりたい。」
と主張している、じじいなのだ。
だが、
なんだって五七五にすると
難しく、読み難くしてしまうのだろう。
言ってることと、やってることが違う。
その自分自身の矛盾がおもしろくないのだ。